ルール

子供の頃「国が国民に借金をしている」(国債のことですね)と聞いて「お金を刷って増やせばいいじゃないか」と思いませんでしたか?
その後多少利口になると、それはジュースに例えるなら「単に果汁を薄めてるだけで、確かに全体の量は増えてはいるが根本的な果汁の量が増えているわけじゃないか解決にはならない・むしろ味が変わって混乱するだけだ」ということがなんとなく分かったのでした。

こういうことを教えてくれたのが実は「ドラえもん」だったかもしれない(あ、これは本のコーナーですよ)
「ポータブル国会」てんとう虫コミックス16巻収録
「ポータブル国会」てんとう虫コミックス16巻収録
これは法を作ることをシミュレートしてくれる道具。「ドラえもん」はこの他のエピソードでも「お金を勝手に刷ればいいじゃないか」というような素朴な疑問にやんわりと答えていたりします。「お金がわいて出た話」(てんとう虫コミックス18巻)とか。

このように「ルール」は自分たちの生活において、いや遊びにおいてすら非常に重要なものです。野球を見たりトランプゲームをしているとそのシステムとしての完成度にクラッとすることがあります(野球の場合、アンパイアの問題がありますが)

よく反体制を気取った連中は「ルールが嫌い」「俺たちは自由だ」というけれど、「ルールのないところに自由は存在しない」ということは今まで多くの人が語ってきたことでしょう。
「ルールが嫌い」というのは、つまりはその「ルール」に対して不満があるということでしょう。ならばそのルールを改善する方向へ持っていくのが本当の自由のような気がします。

そんなことを考えさせてくれたのがこの本。
ルールを作ることは世界を編集すること。そんな広い範囲で「編集」を捉えた好著。編集には大きく分けると「コンパイル(compile)」と「エディット(edit)」があってたいていは前者のことだったりするのだけど、この本では後者について書かれています。世の中のすべてのものを編集の対象と捉える姿勢にはかなり興奮。サンプリングミュージックこそが「音楽の編集」だと思っていた自分の底の浅さを感じさせられた一冊。必読です。

さて、高校の頃歴史の勉強をしていた時に、どうして「法」「法度」や「条約」がキーになるのだろう?と思ってたけど、今考えれば当たり前のこと。
中でも改めて画期的だと思うのが豊臣秀吉の京枡による度量衡の統一。これって「単位」を作り出したわけで、「国家の統一=システムの統一」ということを経済面でも考えた結果なのです。
それまで統一の単位がなかった、というのも軽い衝撃。「単位」というのはそこにあったものではなく人が作り出したものなのだということに気づかされます。

最近、そういう「標準規格」について考えさせられたことがあります。「文字コード」と「HTML」の仕様です。二つともWebページを作っているときに避けて通れない問題なのです。

「文字コード」については、まずなぜ「文字コード」にはいろいろあるのか?という疑問がCGIを書いているときに出ます。そして文豪「モリオウガイ」の「オウ」の字が「」としか出ないのが卒論のときに困ったのを思い出しました。結局そこだけ手で修正したのだけど。
そんなもろもろの疑問への解答はこれを読んで初めて知りました。
とにかく「いろんな思惑が裏目に出まくってこうなった」としか言いようがありません。今のパソコンのスペックを当たり前に考えていると想像できない問題です。それは先ほどの「京枡」の出現の画期性に気づかないのと同じことかもしれません。そして、「上位/下位互換」とか「将来拡張できる仕様作り」というのは難しいけど大切なことだと痛感させられました。

同じ問題が「HTML」にもあります。みなさんはブラウザは何を使っていますか?ネットスケープ4.xだったらそれは変えたほうがいいと思います。W3C(ワールド・ワイド・ウェブ協会。W3Cはワールド・ワイド・ウェブに関する業界標準の作成・認可を行う団体)が勧告する標準規格を無視した欠陥ブラウザだからです。よくアンチマイクロソフトの人こそネットスケープを使う傾向がありますが……。
決してマイクロソフトの肩を持つわけではありませんが、ブラウザに限っていえばInternet Explorerの方がましです(あ、現在の話ですよ)。ネットスケープ4.xがどれだけWebの可能性を狭めてしまったかはその仕様を知れば分かると思います(4.xで使える独自タグは次回のバージョン「Netscape6」からなくなります)。TABLEでレイアウトを構成することが当たり前になっているこの異常さからみんながまだ抜けさせないのもそのせいです。

このように商業的な思惑は「標準仕様」と相容れないものだというのはビデオのVHS・βの件で誰でも知っていると思います。「標準仕様」をゲットした企業が利益を持つのがいけないんですかね。次世代CDなどでも同じ轍を踏まないように願うばかりです(MP3など圧縮系オーディオにはあんまり関心がないんですが、スーパーオーディオには期待しているんですよ)

(2000/10/05)

 
そんなことを考えていた僕にとって、今後かなり影響を与えるであろう一冊。
前半の、「インターネットにおける自由」とは何なのか、ということを様々な出来事を通して語られる部分には興奮!
この問題はどんなところにもあって、たとえば小さいところだと学校の「校則」。校則を全くなくすことが生徒の自由を生み出すのか?たとえばゲーム。ルールのないゲームはゲームたりえるのか?
インターネットはそういうイビツな自由を選択した結果、本来手に入れられた自由(たとえば商業的な自由さ)などは失っています。
結局のところ、僕らは法を逃れては生きていけないのだから、その法を常に監視し、理解し、コントロールしていかなくてはならないのかも。で、それがインターネットの場合、アーキテクチャの作り方にあるのだ、と著者は言います。
ちょっとした例だけど、掲示板の作り方でその掲示板の性格って決まったりしますよね。僕はネットデビュー?がパソコン通信のNiftyだったから、掲示板というのは管理者がいないとすぐにケンカになるというのは結構見てきていて、しかも友達とのクローズドな掲示板でもそうなっちゃた経験もありました。
また、Niftyはハンドルネームを使ってはいますが、比較的その人の現実世界のプロフィールが手に入りやすくなっていて、それが無責任な発言への抑止力となっていました。これを考えると「2ちゃんねる」ってものすごいインターネット的だなぁと思います。
で、僕は自分のサイトではあえて掲示板は作らずゲストブックにして、発言には必ずコメントをつけるようにしました。これで、自分が関与しない第三者同士でのやり取りをしにくくしてあります。これもある意味アーキテクチャ?
てな具合に身近なところでも、この著者が言っていることは応用できます(ゲストブックはこの本を読んでそうしたわけじゃなくて、無意識にそうしてたんですが)

残念ながら後半は飛ばして結論だけ読みましたが、これは僕にとってエポックメイキングな本であることには間違いない。少々高いですが、値段分の価値はあります。

(2001/07/14)