コラムニスト

そもそも僕は小説から本を読み始めたし、学生の頃はノンフィクションなんて全く読まなかった。現実のことしか書いてないなんて本に対する冒涜だとすら思っていた。
それがどうだろう。今は小説をほとんど読まないし、本屋でも文芸コーナーは素通り。読むのはコラムと自伝&評伝のたぐいにノンフィクションを少しばかり、といった具体だ。
読書傾向の変化からも分かる通り、特にこの2、3年で趣味や考え方が相当変わった。それにはここで文章を書いていることも多少は影響しているかもしれない。

今回はそんな自分の文章に影響を与えたと思われるコラムニストの特集。簡単にいえば「マイブームの変遷〜コラムニスト編」といったところ。

(2000/10/14)

 

大塚英志

『システムと儀式』(本の雑誌社→ちくま文庫)
『システムと儀式』(本の雑誌社→ちくま文庫)
中学終わり〜高校ぐらいまで。
元々は親父の本棚にあった「漫画評論」(呉智英とか)をいろいろと読んでみたことから始まる。彼が「本の雑誌」で書いていた、マンガに関するもろもろのコラムが面白くて、この本を親父が買ってきたときにはすぐに読んだんだと思う。
タイトル・装丁などが相当かっこよく感じられ、当時ヲタク的アイテムをキチンと語ろうとしている人ってのは珍しくてずいぶん影響を受けたような気がする。高校の頃、誰に見せるでもなく自分の考えてることをまとめるためノートにエッセイみたいなものを書いたこともあったけど、それはこの本の影響だと思う。
最近はコラムニストというよりは文壇の評論家になっちゃったみたいだけど、そもそもそういった部分にコンプレックスを抱いてたようだからしょうがない気もする。どういった事を書いてるかは全然知りません。

ヲタク系ライターだと、単行本こそ出してないものの、元「モデルグラフィックス」編集長のあさのまさひこ氏もこの頃に影響を受けた。今でも面白いと思う。もうちょっとメジャーになってもいいと思うがどうだろうか。

いとうせいこう

「全文掲載」(新潮文庫)
「全文掲載」(新潮文庫)
大学の終わり頃。
元々「ノーライフキング」「ワールドエンズガーデン」なんかの小説を読んでいたんだけど、「全文掲載」は就職活動中に持ち歩いて読んでいたのを覚えている。
じゃあ大学の間は、というと実はコラムはあんまり読まなかった。先ほど書いたように小説を中心にした読書だった。文学部だったせいもある(単純)。あの頃は小説こそ本だと思っていて、それ以外の本にはほとんど興味がなかった。というほど小説を読んでたわけでもなかったけど。
「全文掲載」は80年代の東京ニューウェーブなんかのことが書かれていて結構憧れた。藤原ヒロシがカリスマだった時代。
ただ、この人も文壇への憧れと接近が鼻について、小説「解体屋外伝」を最後に読まなくなった。
良くも悪くも頭でっかちの人。サエキけんぞう、テイ・トウワ(ちょっと違うけど)などおかっぱな人がこうなりがちなのはミスタースポックからの伝統か。

川勝正幸

90年代半ば。
これはハワイ旅行の際に持っていて、かの地のあまりの退屈さにウンザリしていたところをずいぶん救われた思い出がある。装幀はサルブルネイの松本弦人
そもそもは「TVブロス」のコラムで知ったんだけど、この雑誌は大学の途中から就職してしばらくの4年間ぐらいずっと買っていて、コラムへの欲望はこれを読むことで解消されていた気がする(ゆえに単行本のコラムはあまり買わなかったのかも)
この本は「全文掲載」と取り扱っているジャンルが似ているけど、90年代的視点がかなり入ってるのがうれしかった。特に「ヤン富田」「ティム・バートン」のあたりは何回も読み直した記憶が。ただ、ゲンスブールとか悪趣味系とかそっちの方はちょい引いたけど。最近のコラムはそっちが多いみたいで個人的には残念。
でも川勝さんは物腰柔らかなキャラ(時々「タモリ倶楽部」に出る)も含めて憧れがあります。

小西康陽

90年代半ば。
小西氏の文章は「STUDIO VOICE」やCDのライナーなんかで目にしていて好きだったんだけど、なぜかこのコラム集は出てから一年ぐらいしてやっと買ったんだと思う。その頃の金銭感覚からすると「小説以外の本に¥2200は出せないな」という感じだったのかも。
読んでみるとやっぱり面白くて、特に「ザ・ベスト・オブ・ザ・グレイテスト・ヒッツ」は相当影響を受けた。かなり文章が書ける人だと思う。このエッセイにも出てくる一見同じような編集タイプの音楽家テイ・トウワが、文章を書くとものすごい短文になるのと対称的。二人の決定的な違いがここの表れていると思う。

今でも書いているのかも知れないけど、ピチカートから興味をなくすと同様にエッセイの方も読まなくなった(目にする機会が減った)。でも今でもこの本はたまにパラパラと読む。個人的にはエッセイストとしての仕事をメインにして欲しい、なんていったらきっと気を悪くするのだろうけど。
小西氏が一番輝いていた頃の記録。

岡田斗司夫(オタキング)

90年代半ば、大学生〜就職したての頃。
この頃は結構ヲタクテリトリーに片足を突っ込んでて、何をトチ狂ったか戦隊モノとかを熱心に見たりしていた。ちょうどあの頃は「エヴァンゲリオン」がヒットして僕も4話ぐらいからリアルタイムで見始めてハマったんだっけ。

岡田斗司夫も「TVブロス」で知ったんじゃないかと思う。東大の講義でマスコミ的にも注目を受けていた。処女作「僕たちの洗脳社会」(確か幻冬舎文庫あたりに入っていたと思う)もなかなか面白かった。
特にこの「オタク学入門」では、僕が高い評価をしてる「五星戦隊ダイレンジャー(だって「解散」したりするんだよ?)を「戦隊モノの集大成」として評価してたのでポイント高かった(笑)。新潮OH!文庫に入ったので読んでみてはいかがだろうか。
でもだんだんと「同じことしか言わないから、もういいや」と思って読まなくなった。今でも「BSマンガ夜話」に出てるのを見たりするけど、「劇画ドラえもんがある」なぞと知ったかぶりをかましていて、自分の中ではかなりメッキが剥がれ落ちたのだった(笑;その前から)。それでも「『こち亀』の構造はドラえもんと同じ」とか鋭いことも言ってたけど。
素直にマンガ・アニメ評論とかをやっていて欲しい。「朝まで生テレビ」に出てるのはどうかと思う反面、趣味に走った安易な本を出したりするのもどうかと思う。

宮沢章夫

2年ぐらい前〜現在。
この頃までの僕にとって「コラムを読む」というのは、サブカルチャー関係(音楽・映画・マンガ・アニメ)のガイド・評論を読む、というのと限りなく同義だった。だからそういう話題が書いてないものはあまり読まなかった。
そんな僕にとって、この「わからなくなってきました」は純粋にコラムの持つ面白さを感じさせてくれた一冊だった。他のコラムもすぐに揃えた(絶版の「彼岸からの言葉」は図書館で借りた。なぜ絶版なのでしょう?→角川書店)
宮沢章夫「彼岸からの言葉」(角川書店)
宮沢章夫「彼岸からの言葉」(角川書店)
ただ、小説や文芸評論も読んでみたけど生真面目すぎてあまり好きじゃなかった。コラムはこれらの裏返しなんだろうなと思った。藤子F不二雄氏における「SF短編」と「ドラえもん」の関係。今でもコラム集が出たら即買う作家。脳味噌をコチョコチョされたい人は必読。

これ以後、文章・思考そのものの面白さでコラムを読むようになり、ガイド・評論的なものはあまり読まなくなっていく(そういうのは口コミレベルの情報をネットで収集するようになった)

植草甚一

1年ぐらい前。
だんだんとヲタク的なものから興味を失っていき(マンガの趣味とか相当変わった)、コジャレサイドに接近していくんだけど(これからももう離れつつある)、そういった「趣味のよさ」のボス的・元祖的存在が植草甚一だと思う。もともとは小西氏の文章に名前が頻出していたから読んでみたのだった。
そもそも世代が違いすぎて書いてある対象(ジャズとか)がよく分からないし、興味もなく、おまけに文も悪文なんだけど、それなりに面白かった。前にも書いたけど、彼の文章は箱の中身は空っぽだけど、その箱自体を描写することで中身を想像させるようなところがあるのだと思う。
ただし、ここにあげた人の中では一番影響を受けてない。

赤瀬川原平

1年ぐらい前〜現在。
しつこいようだけど今はダントツでこの人。もう影響受けまくってます。これだけ「すべての文章を読みたい!→うわ〜、こんなにあるんだ、幸せ!」と思ったのは初めて。赤瀬川氏は内田百間(けん。字が違うけどご了承下さい)に関してそう思ったらしいけど、僕はそんなに好きじゃなかった。
単独のパビリオンを製作中なので詳しくはそちらで。

その他

この他、泉麻人原田宗典景山民夫なんかを高校〜大学にかけて読んでた。
泉麻人は結構読んだんだけど、80年代特有の臭みがとにかく鼻についたのと、やはり世代が違いすぎるせいか(親以上に年齢が離れている赤瀬川氏はどうなるんだろう?)、違和感があった。いとうせいこうとの共著「コンビニエンス物語」を読むと二人の違いからそれがよく分かった。
原田宗典はその親しみやすさから何冊か読んでみたけど、全体的にちょっと物足りなかった。いわゆるラブコメにおける「いい人」どまりというか。ちなみにダミーヘッド(3D音響)のCDドラマ(タイトルに「果実」がついてたような)の脚本はメチャクチャ面白かった。
景山民夫はそんなに読んだわけじゃないけど、山藤章二とのコンビの「食わせろ!」というのが好きだった。この山藤章二とエッセイストがコンビを組むシリーズは高校の頃結構好きで、親父の本棚から見つけては読んでいた。中島梓(栗本薫)とか。