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昭和一桁

このところ読んでいた一連の自伝に、ある共通点があることに気付いた。みんな昭和一桁生まれなのだ。なんとなく時代が似てるなぁとは思っていたのだけど。
というわけで今回は昭和一桁自伝特集。ちなみに昭和一桁といえば「とっつぁん」こと銭形警部。

谷啓(昭和7年生)

まず谷啓がちゃんとしたミュージシャンだったのが意外でした(失礼)。弟分のドリフの「全員集合!」プロデューサーが書いた「8時だよ!全員集合伝説」(コレも面白い)にも書かれてたけど、ミュージシャンとコメディアンというのはリズム感が重要、という共通点があるそうで、谷啓がエンターティナーを目指しているうちに、だんだんとコメディアンになっていくあたりからもその辺のことが分かります。
エピソードを読んでいると結構不幸が多いんだけど、ポジティヴシンキングの人。めちゃくちゃシャイな部分はかなり共感できました。また、クレイジーキャッツが普段はあまり仲良くないというのも意外なエピソードでした。

青島幸男(昭和7年生)

青島幸男「わかっちゃいるけど〜シャボン玉の頃」(文藝春秋)
青島幸男「わかっちゃいるけど〜シャボン玉の頃」(文藝春秋)
そのクレイジーキャッツのブレーンだった元・東京都知事で直木賞作家の青島幸男の自伝。まぁ、基本的には自慢話です(笑)。ただ、クレージーキャッツを外部から描いてる本としては面白い。あと僕らの世代にとっては、あの頼りない都知事が「いじわるばあさん」以外に何をやっていたのかが分かる本。この頃はテレビが一番熱かったのでしょう。

大橋巨泉(昭和9年生)

放送作家としては青島幸夫の次の世代になるのでしょうか?その後が景山民夫とか?その辺は彼の「ガラスの遊園地」(講談社文庫)を読んでみたいと思います。
さて、今年のベストセラーとなった本書。注目された「リタイアの発想&ノウハウ」は、大学時代の講演会(僕はこれで巨泉のファンになった)で聞いていたので「はぁそうですか」という感じだったけど、自伝部分がおもしろい。“なんてったって”歳をサバよんでたんだからなぁ。
巨泉っていうのは今でいう「とんねるず」+「秋元康」を一人でやっているような存在だったんでしょうね。今のテレビ界は巨泉の作り出した方法論から抜け出せているのだろうか?
放送は生に限る、と言っているのも興味深かった。


世の中の多くの人は巨泉のことが好きなんだろうか、嫌いなんだろうか?
僕は大学の講演会で巨泉の話を聞いて以来、けっこう好きなのである。テレビ自体は「クイズダービ−」を親のつき合いで見ていたぐらいなんだけど、その講演での話が面白かったのだろう。
さて、最近やたらと本を出している印象がある大橋巨泉だけど、これは自伝としては決定版ではないだろうか。
自分の家族の話から始まって、戦後の価値転換、高校時代、大学時代、ジャズ評論家時代、放送作家時代とタレント以前のエピソードがつづられる前半が読ませる。時代の持っていた熱気に近づきながら飲み込まれまいとする巨泉自身の熱気がいい。
この人はけっこう思いこみが激しくて、でもその思いこみが彼を努力させている部分も大いにある。そう、意外に努力家なのだ。
ところが後半からは、自慢話とゴルフの話ばかりになってきて、かなりウンザリ。もう少し自分が司会した番組のエピソードが書いてあるのかと思いきや、とにかくゴルフ。それ以外の趣味である将棋や競馬(これは職業か)も結局は自慢話。
巨泉という人はこういう人なのかもしれないけど、本を読んでいてもどこか憎めない。この「憎めない」という部分がこの人を成功させた大きな理由なのではないかと思った。

(2004/05/28)

石原慎太郎(昭和7年生)

青島幸夫の次に東京都知事となった芥川賞作家・石原慎太郎の、弟との兄弟伝。
僕にとって裕次郎は、「太陽にほえろ!」の太めのオッサンというイメージがあるのだけど(しかも「減点パパ」の南伸介とダブっていた)、若い頃は「青春スター」として、この時代の象徴的存在だったようです。それは兄の慎太郎も含めて、「石原兄弟」という時代の憧れでした。梶原一騎兄弟も少年時代に憧れたらしい。
弟のことを中心に書かれているのですが、相当美化されているだろうから「評伝」とはいえませんが、「自伝」でもない。ただ、おそらく唯一の「石原兄弟伝」とは言えるでしょう。

エピソードは子供の頃から始まって、裕次郎が若い頃はかなり放蕩してたとか偶然に俳優になったとか、知らなかったエピソードがいろいろあって読ませます。特に少年期(父親が死ぬ前まで)の、旧家父長的な家の中での「お坊ちゃん」な成長ぶりに、当時の人々が憧れたのは分かるような気がします。

裕次郎に子供がいなかった、というのを聞いてあることを思い出します。確か「NHKみんなのうた」だったと思いますが、「パパと歩こう(タイトルはこれでいいか自信ないけど)という裕次郎が子供とデュエットする歌がありました。僕は子供の頃その歌を聞いて、実の息子と歌っているのかと思ってたぐらいなのだけど、違ってたんですね。それぐらい、その歌の中では「理想の父親像」にピッタリなキャラクターを演じていました。
「太陽にほえろ!」の頃の裕次郎は、意識的か無意識的か、世間的に不在な「父親」を体現していた、という兄・慎太郎からの指摘も頷けます。

慎太郎氏の本は初めて読んだけど、読みにくいのに印象に残る文を書くあたり、作家の文だなぁと思いました。
* * *
さて、慎太郎氏の話題になったところで、ちょっと政治家について書きます。
僕は都知事選の時は、なんとなく彼にだけは入れたくなかったんですが、見事当選。でも今は嫌いじゃありません。むしろファンかも(笑)

今、みんなは政治家を選ぶときに、とにかく上半身に期待しています。下半身の問題はとりあえずおいたとしても。上半身がボンクラな人にその「ボンクラである」という事実を指摘するのは気の毒、という日本人の「やさしさ」から、下半身問題で退任をせまる傾向があったりして(笑)
また、スキャンダルの時に何が一番イメージダウンになるかというと、それに対する当事者の態度だったりしますよね。逆に「えっ、しょうがないじゃん、だってそうなんだもん」とか、素直にあやまられたりすると、マスコミはとたんにトーンダウン。
これはいじめの論理に似ていて、つついても手ごたえが無ければ面白くない、だからいじめもフェイドアウトする。この辺の「手ごたえのなさ」を関西の人は「ボケ」という形で会得している(ことが多い)と思う。まぁ、もちろんいじめ問題はこんな単純なことだけではありませんが。
例えば、森氏はマスコミにとって「いじめがいのある人」なのでは、とか思う。で、石原氏はその逆。本質的に「ガキ大将」だからいじめにくいだろうし。田中康夫氏の場合、「だって、オレがそう書いてるから、そのとおりだよ」ってわけでそれはスキャンダルですらない。このように政治家とマスコミ(とその後ろにいる僕ら)の関係はいじめっ子といじめられっ子という構図にあてはめると分かりやすい。

いまだに「下半身問題=スキャンダル」と思っている人は票は集められないって。おまけに「タレントだから票を集めた」と分析してちゃ、ね。

(2000/11/19)