僕自身はどんなお笑いが好きかと言われると「パロディ」だったりして、決して笑いのセンスに長けているわけではないですし、お笑いファンでもないです。むしろバラエティ番組は嫌いで、ほとんど見ません。
でも芸人の人生っていうのはどれも破天荒だったりして面白いことが多いです。やはり人を笑わせてナンボ、という部分とあまり「アガリ」が存在しないジャンルであるというところがそうさせるのでしょうか。自伝好きにはたまらない素材と言えます。
基本中の基本。
ロッパ・エノケンからクレージーキャッツ、吉本新喜劇・コント55号、ソロでの欽ちゃん、タモリ、たけしあたりまでの喜劇人を、厳しい目で批評・位置づけをした私説日本喜劇史。こんな気むずかしそうな人が喜劇好きってのも不思議な感じがしますが、戦後の喜劇史を知るにはいい本でしょう。僕は名前しか知らない人ばっかりで、彼らが一体何をして人気があったのかが分かっただけでも楽しかった。
喜劇というのは、歌舞伎などのように世襲などがあまりない世界なので歴史がそのまま実力の推移になっていて、「史」を眺めることはそのまま批評にもなるんだろうと思いました。
最近フェアで増刷されたようで書店に並んでます。文庫だから高くもありませんし、興味のある方は手にいれておいて損のない一冊。
「邪道芸人」トニー谷の評伝。この人の存在を知ったのは、「こち亀」で彼をモデルにしたようなキャラが出てきたりそのギャグが使われていたからだったんじゃないかと思います。中学生の頃、ちょうど再評価されてCDが出たりしてましたね。当時、すごい人気があったことは全然知りませんでした。
著者は彼をタモリ・上岡龍太郎といった司会業の元祖と位置づけ、役者や喜劇人というよりヴォードヴィリアンにこだわりつづけたと言います。そして彼のそういった特性はテレビ向きじゃなかったと。
しかし、当時の雑誌や新聞の資料をひもといて書かれたこの本を読んでも、トニー谷という人の本質は謎に包まれたままです。それは著者の筆力というよりもトニー谷という人が持っていた特性なのでは。そしてそれが彼を凡百の喜劇人で終わらせなかったファクターなのかもしれません。
国民的人格と思われている「寅さん」を演じた渥美清(本名・田所康男)は、寅さんが長期シリーズ化する前はああいう役者じゃなかった、というのが、僕のように「男はつらいよ」以後に生まれた人間にとっては意外でした。
何かで読んだことはあったけど、彼の人嫌いなところやどこか醒めて人間を「観察」しているところなど、まさに「おかしな男」。
だけど、渥美清とある一定の距離を取ってつき合っていた著者・小林信彦氏自身も相当「おかしな男」だと思いました。丁寧で対象に対して冷静な仕事ぶりは相変わらずで、読んでいて恐れ入ってしまう部分も多々ありました。

「景山民夫/ガラスの遊園地」(講談社文庫)
解説は放送作家としては景山民夫の先輩のあたる大橋巨泉。
プロットは梶原一騎と同じ。本当は優しくて甘えん坊の人が成功〜転落のうちに、それらの裏返しで扱いにくい人になっていくという悲劇。世代的に「やすきよ」の漫才の凄さって全然知らないし、とにかくダーティなイメージしかありませんでした。この本を読んでも決してその印象が変わったわけではありませんが。
でも昨年末に偶然「やすきよ」の特集をしたテレビ番組を見たんですが、確かに面白かったです。やすしの人なつっこい、憎めないキャラクターがなんともいえない魅力でしたね。
まともに読んだ小林信彦の本は実はこれが初めてでしたが、対象との距離の置き方・客観的な論証とそこから導き出される独自の視点は、なるほどこの人の評価が高いわけだと思いました。
ドリフターズ。最近、「ダメだこりゃ」とかいういかりや長介の自伝が出ましたが、前者は「8時だョ! 全員集合」のプロデューサー、後者は言わずもがな(最近第二弾が出ましたね)。
「全員集合伝説」での、コントはリズム感が大切でドリフターズは元々ミュージシャンだからその辺が長けていた、という指摘が面白かった。もちろん高木ブーはその点においては最悪だったとも書いてありますが(笑)。また、舞台の上で生のお笑いをやることがどれだけ重要かも書かれていて、「ライブ」というものがあまり好きではない僕でも確かにそうかもなと思わせられました。
後者は付き人だった志村けんが成功するまでを淡々と書いていて、荒井注時代のドリフを知らない世代の僕にとっては新鮮でした。

小林信彦「笑学百科」(新潮文庫)
そのたけしが漫才で成功する前あたりのことを書いた自伝。彼も渥美清なんかのようにストリップ劇場でその笑いのセンスを磨いた、というのが意外でした。

「横澤彪/イケナイ!?発想読本」(光文社カッパホームズ)

「横澤彪/テレビ式」(講談社文庫)
主に前者が「ひょうきん族」、後者が「笑っていいとも」に関して書かれています。
最後に番外編として。「りんけんバンド」を率いる照屋林賢の父・照屋林助の自伝。漫談とかをする人です。ずいぶん前に読んだんですが、沖縄の芸能史を知るにもいい本だと思います。てるりんの人柄は水木しげるにも似てる。水木しげるの南国好きと関係あるんでしょうか?
(2001/06/03)
ドリフターズ・リーダー、いかりや長介の自伝。上でも紹介している「変なおじさん」「全員集合伝説」では知ることができない、ドリフ結成までのエピソードが読み所。ドリフってミュージシャンだと思ってたけど、かなり大間違いで素人に毛が生えた程度の演奏力だったらしい。荒井注に至ってはピアノはほとんど弾けなかったとか。また、これを読むとやはり志村けん加入以前・以後でドリフは別ものなんだなぁ、ってことがよく分かる。彼の加入がなかったら、ドリフはとっくに過去のグループになってただろう。特に「変なおじさん」とは併読することをオススメ。お笑いの世代交代ってこういうふうに起こるんだなぁ、っていうのがよく分かる。
(2003/01/13)

「小林旭/さすらい」(新潮社)
その内容は一貫して「いかに自分がマイトガイであるか」を語り尽くしており、おそらくそれは事実を150%はふくらませているんだろうけど(人の記憶とはそういうものだ)、そういう記憶違いを割り引いたとしても十二分にヤンチャな人であることが分かる、イヤでも。そうやって話を誇張するところに彼の「俺様ぶり」がそのまま出ているのは自伝としてはとても正しいと思う(読んでると時々ウンザリするけど、すぐに読めちゃうからOK)。典型的な天然系の人。
とはいえ、僕の小林旭のイメージは「熱き心に」を熱唱する太めのオッサンで、「渡り鳥シリーズ」も数年前にテレビで放送してたのをなんとなく見た程度だ。突然ギターで歌いだすその映画には苦笑、って感じで正直ギャグ以上のものではなかった。
そのことは小林旭自身も分かっていたようで、それでも当時の渡り鳥シリーズの人気は相当なものだったらしい。この本でも随所に同じ日活のスター、石原裕次郎への複雑な思いが綴られているけど(ここは読みどころ)、裕次郎とはまた違った野性的(というか裕次郎が都会的だとすると地方出身者的)な魅力があったよう。もっともその裕次郎も僕にとっては「七曲署のボスのおっちゃん」でしかないんだけど。
また、僕ぐらいの世代だと「え、そうなの?」って話になる美空ひばりとの結婚→離婚話も典型的な「スター同士の結婚はうまくいかない」例となってて、これは普遍の法則だよなぁと思った。で、こういう人は決まって事業で失敗してるんだけど、彼も同様。お約束パターン過ぎ。
「自動車ショー歌」などに関する記述が一切ないのが残念だった。
(2003/05/06)
志村けん、いかりや長介ときて、高木ブーの自伝が出た。とりあえず本名の「高木友之助」ってのが、レーサー高木虎之介とめちゃくちゃ似てるなぁと思ったのをメモしておこう。
内容はいかりや長介と似ていて、バンドマン(いかりやはカントリーだったけど、高木の場合はハワイアンバンドでウクレレ担当)からいかりやに誘われドリフターズに入り大人気、という流れなんだけど、いかりやなんかとは逆に結構家が裕福で、しかも歳をとった両親の末っ子ということもありとても可愛がられていたようだ。高木ブーのいい意味でのハングリー精神のなさとドリフ、ひいては芸能界のポジションの原点が垣間見える。
中でも面白いのは、高木ブーが「高木ブー」であることをあまり気にしてないというか、かなり楽天家でいつでも「まぁそれでもいいか」と思っているところ。この辺が彼を彼たらしめている部分で、自分でも「ビートルズにおけるジョージ・ハリスンやリンゴ・スター」と言っている(どう考えてもジョージではなくリンゴだと思うけど)。全体的に彼の人柄のよさがにじみ出ており、奥さんを亡くした話などは涙を誘う。
芸能界ってのは破滅型や極端な人ばかりいるのかと思いきや、こういう人でもやっていけるんだというのが分かるだけでも、平凡だけど貴重な内容となっている。
(2003/06/01)
僕が子供の頃、双子の弟と愛聴していたカセットテープがあった。アニメや特撮ヒーロー主題歌を親父に頼んでテレビから(泣)落としたもらったものだけど、ある日弟が他のテープと区別するためにそれにタイトルをつけた。命名して曰く、
「かっこいいテープ」。
すごいネーミングだ。「かっこいい」という日本語の説明にもってこい、って感じだけど、残念なことにある程度年齢が進んでそういったアニメソングが恥ずかしくなる時期に、チェッカーズだか何だかを上書きして消してしまった。その当時は何とも思わなかったけど、後々「あぁ、あのテープが聴きたいなぁ」と思うようになった。アニメソングというのはそういうものだろう。
大学に入り上京していろんなレコードが手に入るようになると、僕はそのテープの復刻を目指した。今ではようやくほとんどの曲を手に入れたけど(その成果が「プカドン交響楽団」だけど実はあれは氷山の一角である)、その過程で僕はこの「水木一郎」という名前とよく出会うことになる。
僕が子供の頃知っていたその手の歌手は「ささきいさお」「子門真人」、ものごころついて「串田アキラ」と来るんだけど、なぜか水木一郎はずっと外様扱いだった。たまたま僕が見ていたアニメで彼が歌っていたものが少ないという事情はあったんだろうけど、それだけではなく、多分水木一郎の歌声がいい意味でも悪い意味でもあまりトリッキーではないからだとも思う。
そんな水木一郎のプロフィールは最近までけっこう謎に包まれていたのではないか。この本は1999年8月30日に行われた「水木一郎24時間1000曲ライブ」のレポートを中心に、彼のディスコグラフィー、周辺の人たちによる証言、そして自伝部分からなるムック的な内容で、そういった謎が解き明かされる。
やはり僕としては自伝部分が気になるわけで、読んでみると想像通りの苦労人であった。
子供の頃から歌手を目指し、中・高校生の頃にはすでにジャズ喫茶のステージに立っていたそうな(そのころ、バンド時代のドリフにも会っている!)。そして念願の歌手をデビューするもののヒット曲に恵まれず、銀座のクラブで弾き語りをする日々(といってもそこでは人気がありそれなりに儲かってはいたとか)。結婚を機に作曲家を志すが、ある時アニメソングを歌ってみないかと誘われ、今に至る(といっても例によって紆余曲折があるわけだが)。
成功したミュージシャンの自叙伝とはこういうものかもしれないけど、「かつてのショービズ界で成功しなかった人」、という意味でも興味深い内容ではある。また、アニメ歌手という特に最近まではほとんど知られていなかった特殊な歌い手になることへの葛藤と、そこで見いだしたプライドも全編を通して読みどころとなっている。
自分の世代では「仮面ライダーV3」「秘密戦隊ゴレンジャー(のアオレンジャー)」「怪傑ズバット」「ジャッカー電撃隊(の行動隊長ビックワン)でおなじみ、っていうか“ヒーロー・オブ・ヒーロー”の宮内洋の自伝。
こういう役者一筋の人はあまりバラエティ番組なんかにも出ないもんだからそのプロフィールは結構知らないもので、東映ニューフェースってのは知ってたけど(第12期生)、丹波哲郎の弟子筋ってのは初耳だった。「キーハンター」「Gメン75」「暴れん坊将軍」に出てた、ってのも知らなかった(これは世代とその手のドラマを見ないからだけど)。
この人が面白いのは、キャリアのかなり早い時期に子供番組で活躍したにもかかわらず(意外にも2、3年間ぐらいのことなんだけど)、「子供番組」というコンプレックスが皆無であるところ。これは「特撮ヒーローの主人公のようなかっこよさ」が彼の中ではものすごくかっこいいことだからで、そのかっこよさに何も疑問を持っていないところが爽快である。役者である前にヒーローでありたい人なのだ。
僕は前から宮内洋はメジャーリーグの新庄選手と顔が似てるなぁと思ってたけど、新庄選手も「オレの今のプレー、かっこよくない?」っていうモチベーションで野球をやってるところがあって、その辺りが二人の共通点だなぁと思う。「勝ちたい」じゃなくて「かっこよくありたい」。
そういう意味でも、僕はこの本のタイトルを敬意をこめて「ヒーローバカ」としたいところだけど、「神髄」という言葉を使うのがやっぱりヒーローバカならではなんだろう。
特撮ファンの間では「宮内洋は絶対交通信号を守る」という伝説があったけど(笑)、それは決してウソではなく子供たちの前ではそうであるらしいが、酒好きだったりタバコを飲んだりする面もあるのが意外ではあった。
美空ひばりと共演した時に、「怪傑ズバット、息子と見てたわよ。あれ、ダーリン(小林旭)のまねでしょ」と言われたというエピソードなど、この本でしか読めないような話も多し。
(2003/07/31追記)
日本における女性ロッカーの草分け的存在、山下久美子の自叙伝。
山下久美子といえば、やはり布袋寅泰の元妻(下世話にいうと今井美樹に寝取られた)ってのが思い出されるが、僕は「赤道小町ドキッ」も知らない世代で、中学生の頃、BOφWYの関連盤ということで布袋との三部作「1986」「POP」「Baby Alone」(とそのライブアルバム「Stop Stop Rock'n'roll」)を友達に借りて聴いていた。ロックの人、と思ってたわりにはかなりロリロリな声だったのが意外というか拍子抜けだったけど、逆にそこがポップスだと思って聴けたのかもしれない。もちろん、布袋の書く曲というのがかなり歌謡テイスト入っているからともいえるけど。
やはりこの本の読みどころはその二人の出会いから別れ、と言えよう。
出会いはかなり「ビビビ婚」的であったけど、結婚生活はかなり激しいものだったらしくて、喧嘩の内容も凄まじい。そして、ミュージシャンとしての夫・布袋の才能に圧倒され一時はステージを去るあたりは、芸能夫婦だけでなく同職につく夫婦共通の悩みではないか。ただそういった「生の感情」がロッカー特有の「カッコつけオブラート」でくるんでいるのが残念。どうもロックの人はこういう「ええかっこしい」なところがあって自伝本的にはいただけない。
その後、今井美樹(「彼女」と表現されてる)が登場するわけだけど……。この構成でやられるとどうしても今井美樹は悪者になっちゃうな、というのが正直な感想。そこまで読んできた読者は山下に感情移入してるわけだし、まともに考えても今井の行為は横取りだからなぁ。最近、よしもとばななが山下久美子とコラボしてるのは大きな援護射撃かと思う。よしもとばななの読者層と今井美樹のファンってある程度重なると思うんだけど、それらのファンも山下久美子に悪い思いはしないわけで……。再婚後、今井が少々ナリをひそめてるのは正解だと思う。
とそんな憶測でしかない芸能ネタはおいといて、もう一つの読みどころは冒頭と最終章で綴られる彼女の出産記だ。なんと「未婚の母」「高齢出産」「未熟児」「双子」という強烈な出産体験。うちの奥様にいわせると「未熟児」なのはヘビースモーカーのせいじゃないか、とのことだけど(だって彼女、妊娠してもタバコ吸ってるし……)なんとかかわいい双子の娘さんが生まれるあたりは、「あ、山下久美子はアーティストとして一歩登った」という感じがあった。よしもとばななもコラボするだけの説得力はある。といっても別に新しいアルバムとか聴いてるわけじゃないけど(笑)。
何年か前に友達が「おすぎとピーコ」を同一人物だと思っていた、と話しててビックリした。というのも、僕にとって「おすぎとピーコ」というのはオカマであるのと同時に双子であるのも重要なファクターだったからだ(自分が双子なので)。でも最近は二人で活動することも多いので、さすがにそういう勘違いも少なくなったのかも。それもそもはず彼らはある時期から二人セットの仕事を断り、ピンでかつTVのおもちゃにされないような仕事を選ぶようになったからだそうな。
この本はピーコの子供時代、芸能界に入るまで、芸能界、ゲイの自分、双子ということ、片目を失明したことなどを糸井重里がインタビュー形式で聞き出す構成となっていて、あの特徴ある「ピーコ口調」を残すためにこの構成を選択したとすると糸井重里あなどれず。
双子話で面白いのは、ピーコは兄だったため(←意外に知らない人が多いけどそうなんです)おすぎに比べて厳しく育てられた(と少なくとも本人は思っている)ことや、おすぎはかなり楽天的で明るく、ピーコは自分とかなり性格が違うと思っているところ。この本を読んでようやくおすぎとピーコの明確な違いが分かった気がした。
糸井重里は「ピーコは日本のお母さんだ」とコピーを作ったけど、僕は前からおすぎとピーコが90年代後半から人気が再浮上したのは、歳を取るにつれて男女の性差が縮まるからではないかと思っている。彼らの特徴だったオカマ独特の気持ち悪さが歳とともに脱臭され、「おばちゃん」のような存在になったというわけだ(本人はたいして変わってないんだけど)。美輪明宏、美川憲一も同じな気がする。紅白を見ていて「あれ、美川憲一って白組なんだ」と一瞬思ったことは誰にでもあるのではないか。ピーコに関してもその三人称を「彼」と書くのにとても違和感があったことをメモしておこう。
「ケンちゃんチャコちゃん」などの「ケンちゃんシリーズ」の子役スターだった宮脇康之の半生伝。僕は「ケンチャンシリーズ」を見た記憶はなく、うっすらと知っているレベルでしかない。しかし、この手の子役スターのその後、みたいな話がかなり好物なので思わず手に取ってしまった。
子役スターが大人になる際に転落していく話は芸能界にはいくらでもあると思う。ハリウッドを見てもドリュー・バリモア、マコーレー・カルキンなど少なくとも青年時代は不遇な時代を送ることが多い。
この宮脇康之もご多分に漏れず子役時代にステージママの加熱により一家離散、しかも子役から俳優へのステップアップの時期に思いっきり“階段落ち”してしまう。
彼の人生には一貫して「指針」というものがない。それは、多額の借金を返済したと鼻を高める現在でもおそらくそうなんだと思う。子役時代に、苦労はあれどなんの努力もしないで億単位の金を稼げてしまったゆえ、金銭感覚も相当麻痺している。借金してもそれがプレッシャーにならないという感性は、金持ちの息子のそれと同じかもしれない。
ここまで来ると恐いものがない、というのが正直なところだろう、暴露話もけっこう過激だ。自分の奔放な性生活、三原じゅんことの浮き名、離散した家族の話などなど、「何もそこまで」と思わせられる部分も多い。自伝というものはウソも多いと思うんだけど、そのウソの部分も含めて「自分がその人生のどこを強調したいか」というものが浮き彫りになるもので、この人の場合「自分のことを赤裸々に語ることが、周りの人が喜ぶだろう」ということが分かってて書いている節があるんではないか。そういった自分が何をしたら周りの人が喜ぶか、というカンのよさが彼には確実にあると思う。それが子役時代に培った唯一の能力なのかもしれない。
芸能ゴシップものとしては、堀越学園時代の話が貴重。デビュー前の松田聖子が無口でおとなしいけどムチャクチャかわいくて学園内で人気があった、とか同級生ならではの話も。
「たま」は高校生の頃、いわゆるロックが苦手だった自分にとっては「ロックじゃない」という一点だけで耳にしたバンドだった。あのユーモラスだけどアングラな世界観は決して好きじゃなかったけど、いわゆる「ロックバンド」なんかよりはずっと面白いとは思っていた。また当時はアコースティックサウンドに興味があって、手作り感漂うそのサウンドは意外と心地よかったのだ。
そんな「たま」の、山下清(というか奇しくも先日鬼籍に入られた芦屋雁之助)似のドラムであった著者が、結成時から解散までを回想したのがこの本。
音楽より70年代的前衛芸術が好きだったようだけど、同じ嗜好を持つ仲間が寄り集まり、細々と活動を続けている時に突如イカ天でブレイク。この、ある日を境にガラリと社会に消費されていく様は体験としてはかなり面白い。あの時代、なぜ「たま」がヒットしてしまったか、ってのは僕も当時聴いていながらもよく分からないけど、多くの人がよしとしたのは紛れもない事実なのだ。
ただそこからの行動が単なる一発屋に終わらない彼らで、さすが元アングラだけあって自ら事務所&レーベルを設立、自主制作活動に入るのだ。といっても気負いがあったわけじゃなくて単に自分が100%作りたかったものを純粋に作りたい、という欲求からなのであって、この辺サラリと書いてあるけど一度メジャーブレイクした人間ではなかなかできない、勇気が必要な、そして自分の表現したいことに迷いがない人間にしかできない行為だなぁと唸った(といっても僕は彼の音楽を評価してるわけじゃ決してないんだけど)。
ちょっと昭和軽薄体が入った文体はややイタめだけど、43歳ならいたしかたないか。
(2004/04/11)
巨乳タレントに特化した芸能プロダクション「イエローキャブ」社長の経営哲学を(多分)語りおろした一冊。
「イエローキャブ」といえば、古くは堀江しのぶ、細川ふみえから、雛形あきこ、山田まりや、最近ではサトエリ、小池栄子、MEGUMIなどなど本当にボリュームのある面々が並ぶんだけど、少なくとも「巨乳」という個性に関しては、好みが「ナイスバディ>スレンダー」な自分にとって眉をしかめるようなことはない。しかし、この面々のいい意味でも悪い意味でもフックの強さはなんだろう?正直に言えば、僕はこの面子が全然好きじゃないけど、非常に気になる存在なのだ。プラス方面での違和感があるといえばいいのだろうか。
そして、巨乳をウリにしつつもAVではなくタレントにこだわるこのプロダクションっていったいどういう思想があるんだろう?と思ってたタイミングでこの本が出たわけだ(図書館で借りたんだけど、借りる僕も僕なら、入れる図書館も図書館、前に借りてる5人もどうなのか;笑)。
その疑問は解けた。
野田社長は長いスパンで活躍できる「アイドル」を作りたいのだ。巨乳を武器にしたグラビア攻勢はそのイントロダクションに過ぎない。しかも、絶対に脱がせない。脱ぐと見る人の想像を刺激せず、そこで消費されてしまうから。逆にその「グラビア」というメディアを非常に重視していて、ドラマのチョイ役とグラビア撮影のスケジュールが重なったら、グラビアをとる。なぜなら、グラビアはそこでは主役になれるから。
これには唸った。
しかし、イエローキャブの娘たちがグラビア以外でも活躍できるのは、やはり社長が「性格・カンのよさ重視」だからだと思う。それは「性格がいい、お嫁さんにしたい娘がいい」という優等生的なものではなく、社長は「恋人になってくれそう」なんて表現をしてるけど露骨に書くと「合コンで楽しくオシャベリできて、あわよくば一晩……」そんな微妙なスキのある、いや一見ありそうな娘を選んでいるのだ。しかし、カンがいい娘を選んでいるから、家の前でバイバイ、っていうしたたかさも持ちあわせている。
そうやってお客をひきつけておいて、その後は本人の目標と努力次第だ、と語る。
テレビに出てるのを見ると怪しいオッサンなんだけど、やっぱり本気で彼にとっての「いい商品」を模索し、磨きあげようとしているところは素直に感心した。
(2004/11/30)













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