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クラフトマンシップ

今日(2003年08月03日)、東京ビックサイトで行われた「ワンダーフェスティバル(略してワンフェス)に行ってきた。前々から会社の人が「ワンフェス」とか言ってて、一体そこでは何が行われてるんだろう?と関心はあったんだけど、特に自分には関係ないやと思っていた。だけど、ここ最近主催者である海洋堂関連の本を読んで「もしかすると、日本のクラフトマンシップがここに集まっているのかもしれない」と洗脳状態になった(笑)。まぁ、それは半分冗談としても一度行っておいてもいいイベントかも、と足を運んだわけ。
その実体は、印象で70%ぐらいはボインボインのアニメのオネエチャンフィギュアとそれをカメラにおさめようと群がる大きいお友達という、半ば想像していた光景ではあった。だけどそういう人たちも含めて、何かを作ってみんなに見せてそれを買ってもらう、つまりアマチュアながら何かしらのプロダクトを作り出している、というのはなかなか刺激的な光景ではあった。特にオリジナル作品を出しているディーラーにはホントに脱帽。
知り合いでオリジナル作品を出品している人もいて、「この人達はなんてステキなんだ!」とちょい嫉妬を感じてしまった。

このところクラフトマンに関する本を何冊か読んでいたので、このイベントに行ったことはそれらの感想をまとめるのにいい機会になったと思う。
現海洋堂専務修一氏の父親であり、海洋堂の基礎とその確固たるポリシーを築いた創業者・宮脇修の回想録。
ひょんなことから小さい模型屋をはじめたオヤジが、「ホビーとはなんぞや?」と大それたテーマをかかげ、それを商売に活かし成功していく過程が描かれているんだけど、面白いのはこの人にはとにかく啓蒙主義的なところがあって、自分が立てたコンセプトや理念などをいちいち文章にしてガリ版で刷って配ったり、全国の模型店を自動車でまわって活動したりするところだ。この本にはそういうかつてガリ版に書いた文章がウンザリするほど載っていて、その内容よりも量に「これがこの人の味なんだろうなぁ……」と思わせられる。
これで成功しなかったら単なるウルサイ親父なんだろうけど、海洋堂はここまで大きくなってるのだからすごい。それはこの「館長」(彼には「ホビー館」という博物館のようなものを建てるという構想があるため、自分をこう呼ばせているらしい)が、「プラモデル」というものにこだわらず、自分の理想に近いと思ったらガレージキットを売ってみたり・アクションフィギュアを出してみたり、とフットワークが軽いからでもあるだろう。その軽さはやはり自分の中に強いポリシーが存在してるからに違いない。
ちなみに、僕はこの人と水木しげると照屋林助がカブってしょうがないんだけど、水木しげるとの共通点に「やたらと家を増改築する」ってのがあって興味深い。面白いと思ったらいてもたってもいられなくなるんだろうか。
海洋堂についてはアンアンアン03/03年分で特集したことがあるので、こちらもどうぞ。
広告・CDジャケットetc.関連を主なフィールドとする美術屋の著者が、自分のこれまでの仕事とこれからの仕事を語った本。と書いてもしっくりこないなぁ。
例えば今から10年ぐらい前=バブル時代のCDジャケットにはアーティストのバックにオブジェがよく使われていた。オブジェが主役のジャケット、というものも少なくなかった。そういったものを制作するのも美術さんの仕事なのだけど、まずはその世界を垣間見られる前半部分がグイグイ読まされた。いかに自分でクライアントのイメージをくみ取って、最終的な形に仕上げられるか。生業にしていないのが不思議なくらいのユニークな文章でそういったクラフトマンシップが綴られていく様は、彼女自身の核に“面白がる視点”があることを確信させられる。
そう、「彼女」と書いたけど、この本ではプロフィール・内容を読んでもこの著者が男性なのか女性なのか非常に分かりづらい(というか多分確信犯的にぼやかしているんだと思う)。でも本当に微妙ながらこれは女性に違いないと思わせられる部分はある。
さて、このまま美術の仕事が語られていくのかと思いきや、後半では彼女が美術屋として展覧会を開いてみようと思いたちそこまでの様々ないきさつが語られる。
面白いのはその後で、彼女は周りに「作家さんになった」と思われたり、バブルの崩壊やCGの発達があったりして、美術屋としての仕事がなくなっていくのだ。そんな中、彼女はこの本を書きながら自分にとって「作る」ということは何か、を自問自答するのである。
その結論は読んでもらった方がいいので書かないけれども、とにかくこの本は相当面白い。モノ作りに関わる人にとってはなおさらだと思う。
にも関わらず、あまり本屋や書評(僕は朝日新聞で見たんだけどそれは版元だからだろう)で取り上げられていないような。これはもったいない。
その原因を考えてみたけど、これは本としてのパッケージに多少問題があるのでは。装丁は僕も大好きな鈴木成一デザイン室なんだけど、きれいな本ではあるけどこの装丁から内容を想像させられるかというと難しい。タイトルの「SHAPER'S HIGH」も、僕は内容紹介を読んだら「あ、あのことか」というのが分かったけど、パッと見ただけではよく分からない。もちろん、この辺も著者が望んだ部分なのかもしれないけど、惜しまれる。文庫化する時はもうちょっと考えた方がいいのではないか。
蛇足だけど、著者がその「単美主義(ただただ美しいもの)としてスタルクのレモンスクィザーをあげていたのが、「あ、やっぱり!」という感じでうれしかった。
2003年上半期マイベスト書籍(といっても出たのは1年ぐらい前だけど)
日本を代表するプロダクトデザイナー、柳宗理のエッセイを集めた本。88歳にして初のエッセイ集なわけだけど、確かに彼のデザインしたプロダクツは今の眼から見てもかっこいい。シンプルなんだけど、形に色気があると思う。
彼の主張は、「飾りを無くし、用途から自然と生まれ、素材の良さを引き出すデザインをしよう」ってことだと思うんだけど、だからといって実用だけの無味乾燥なものをよしとはしない。その辺が難しいところで、だったらどこまでが飾りで・どこまでが彼の言うデザインなのか……その境界線を彼自身も明確には説明できていない。
ただ、この本を一冊読み通すと何となく言わんとしていることが分かるような気もする。つまり、プロダクトというのはその用途から自ずと形はできあがる(→アノニマス・デザイン)わけだけど、デザイナーはそれを最上の形に持っていくのが使命なのではないか。「新しい工藝・生きている工藝」という章では、彼が美しいと思った製品を具体的に挙げて紹介していくのだけど、彼がいいと思うものを一緒に見ていくことで理念的な文章よりも感覚的に彼の主張が分かるような気がする。
また、彼は非常に手作業によるトライ&エラーを大切にし、紙上のデザインなど意味はない・自分の手で実際にプロトタイプを作り上げていくのがデザインなのだと説く。ゆえに、一つのものを作り上げるのにすごく時間がかかるらしいのだけど、出来たものは長く使えるものになるのだろう。
最近出た、casa BRUTUSによる柳宗理のムック。エッセイではほとんど彼のプロダクトは分からないけど、こちらは現在手に入るものも含めてビジュアル的に紹介されているので、僕のように彼のことをよく知らない人間にとっては格好の入門書となっている。
柳宗理の父であり、白樺派の一員であった柳宗悦の文章を集めた文庫本。僕はこれを買った時、柳宗理と柳宗悦を同一人物だと思っており「なんか古いこと書いてるなー」とか思ったけど、それもそのはず(笑)。ほとんど読んでないですが、参考までに紹介しておきます。
祖父江慎、角田純一、グルーヴィジョンズ、クラフト・エヴィング商會の、特にパッケージ・デザインに関する考えが対話形式で書かれた本(元々は講座なのかもしれない)
祖父江慎、グルーヴィジョンズに関しては他の本で読んだことがあったけど、クラフト・エヴィング商會は僕にとってはよく分からない人たちであったので、一番印象に残った(ちょっと特殊だけど)。角田純一の「トーンを伝える」という「トーン」という言葉も、もしかするとデザイン業界ではよく使われるのかもしれないけど自分が漠然と考えていたことに輪郭が与えられたような気がした。

(2003/08/03)


僕は仕事柄コンピュータプログラムによるバグを出すことが多々あるけど、知り合いにダムのプログラムを書いている人がいて、その人にとってバグというのは人命に関わることだという。自分の場合、バグってもゲームだから会社の売り上げにこそ関わることはあれ、まだ楽だなぁと思ったことがある。
宇宙開発もまた、ひとつのミスが人命と莫大な金額を犠牲にすることがあるという性質のものだと思う。僕が好きなF1ですらあれだけのコストがかかるのだから、地上から宇宙へロケットを打ち上げるなんてのは気が遠くなりそうだ。なにせ、簡単にテストができない。ゲームの開発でも何が一番厄介かというと自分でテストができない時だ。シミュレートしても問題は取りきれないのに、テストすらできないってのは本当にまいる。

この本はミニ人工衛星を作り打ち上げてもらう、というカンサットプロジェクトに携わった東大・東工大の学生たちのドキュメンタリー。ノンフィクションだから青春小説ではないですが、そのテイストはかなりあると思う。予算も少なく、時間もない、ましてやノウハウなんてない、という超逆境の中、いろんな問題を乗り越えて完成に近づいていく過程を、決してお涙ちょうだいな語り口にならないいい距離感を保った文章が、それでも熱く伝えてくれる。

でも何と言っても人工衛星って手作りできるモノなんだ!っていう驚きが大きい。打ち上げてもらうロケットもアメリカのアマチュア愛好家の手によるものだし、大規模な自宅サーバ、という感じ。秋葉原や東急ハンズでパーツを暢達する場面などは、キテレツ大百科にも通じる手作りの面白さを追体験できる。

表紙もキャッチーで、宇宙開発をよく知らない僕でもほとんど理解できる著者の丁寧な文章仕事にも好感。

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通信をする、ってのはどうしてこうも魅力的なんだろうか。
それがコミュニケーションだから、ってのは完全な説明じゃないと思う。だってこの本では大学(院)生たちが手作りの1辺が10cmのサイコロ型衛星を打ち上げ、その映像や状況を配信している、ってだけだ。それなのに、そのことにもの凄く興奮させらる。以前、自分で自宅サーバを立てた時に感じた、いわゆる「これ、ドラえもんじゃん!」という感覚。

この本は「川島レイ/上がれ!空き缶衛星」(新潮社)の続編で(なんで出版社変わっちゃったんだろ?)、その後のスタッフたちのエピソードも書かれていて、前の本を読んで彼らに親近感を抱いてるとより入りやすい。著者はあいかわらず彼らの興奮に飲まれないように、それでいてその感動は的確に伝えるという絶妙な距離感でレポートしていく。
それぞれの人物へのスポットライトのあて方もうまく、それゆえ本人たちの写真を見ると本の中の人物像とイメージが違って苦笑してしまうこともある。

今回の読みどころは、技術的な問題はさすがに一度カンサットを体験しているだけに「なんとかなる」という雰囲気で乗り越えていくんだけど、いざ作った衛星をロケットに載せるのがなかなかスムーズに流れないところ。ずさんな契約でお金を損したり、でもそれに憤っていても衛星が宇宙に行くわけではないから、次の道を探す。この思い入れと執念がすごい。

衛星からの送信をキャッチするアマチュア無線家たちのコミュニティも印象的。他の本で読んだんだけど、あそこは独特の文化があるなぁ。

ちなみにこちらがそれぞれの公式サイト。キューブサットから撮影した写真なども見ることができる。
東京大学 CubeSat プロジェクト
東工大CubeSat CUTE-I

(2005/08/09)