漫画家とはいえ、自伝はマンガじゃなくて文章で書くことが多い。でもやはりマンガで読みたい、ってのが本音でやはりこれはその中でも白眉ではないでしょうか。

「愛蔵版まんが道1-4」
富山県高岡市で、藤子不二雄Aこと満賀道雄は、藤子F不二雄こと才野茂と出会い、漫画家になることを誓う……、ってなあらすじの説明すらも無意味なあまりにも有名な自伝マンガの金字塔。類似品として「ハムサラダくん」がありますが、あちらは違う人が描いてます。
藤子ファンには有名な話ですが、自伝を書いているのはA先生ばかり。F先生はシャイだから(?)、そういったものはほとんどない。A先生はF先生を天才だと思ってるから、読んでるこっちもどんどんF先生を神格化しちゃうという罠が。
それはともかく、これもA先生が書いた本。

藤子不二雄「二人で少年漫画ばかり描いてきた」(文春文庫/1980・現在絶版)
同じく絶版の「藤子不二雄/トキワ荘青春日記」(光文社/1981・現在絶版)、現在でも手に入る「藤子不二雄A/Aの人生」(新潮社)などもあります。
お次は石ノ森章太郎の2冊。
「章節・トキワ荘・春」(スコラ社/1981・現在絶版?)を改題。
石ノ森章太郎の目から見たトキワ荘記。特に面白いのが、同じ屋根の下に暮らしたトキワ荘グループの面々を一人ずつ紹介したエピソード。横田徳夫あたりまで書いてあって、トキワ荘を知る資料としても重要と思われます。

「石ノ森章太郎/石ノ森章太郎の青春」小学館文庫
こちらは自伝といっても上京以前の回想録で、トキワ荘の話を期待すると肩すかしを食います。あんまり面白くないです。
石ノ森とくればやはり赤塚不二夫を紹介しなくては。
こちらは、箱入り本特集で紹介した本。
アル中以降(タモリを育てた話とか)のエピソードが満載。もちろん、トキワ荘のお約束エピソードも収録。
この本も読みましたが、本が実家においてあるうえに、中学生の頃に読んだんでほとんど覚えてないですが、子供の頃満州にいた、って記述だけはやたらと覚えてます。なぜだ。
トキワ荘本では、「手塚治虫&13人/トキワ荘青春物語」(蝸牛社/文庫)がそれぞれの漫画家住人が、主にマンガで回想していて必読。
手塚治虫はマンガでいくつか自伝を書いてますが、それ以外には対談集「虫られっ話」(潮文庫)、映画エッセイ集「観たり撮ったり写したり」(キネマ旬報社/1987・現在絶版?)は読んだことがあります。
トキワ荘組はブームもあったから割とその青春時代が知られてますけど、他の同時代のマンガ家ってのは意外と交友関係も含め知らなかったりします。僕にとってその筆頭が松本零士氏。
松本零士には「男おいどん」というかなり自伝的な青春マンガの傑作があるので、それを読んだらある程度予想はつきますけど(と書きつつほとんど読んだことない)。ちなみにその「男おいどん」の大山昇太(おおやまのぼった)は大山トチローの先祖だそうな(出たよ、零士先生の悪いクセが)。
気になる松本零士が属した漫画家派閥ですが、手塚治虫との交流があったり、ちばてつやと友達だったりしますが、トキワ荘組とはあまり接点がない、というか彼らを漫画家エリートと見て密かにライバル視していたというのが面白い。アニメーション制作はかなり昔からやりたかったようで、「宇宙戦艦ヤマト」は原作だけじゃなく、コンテ・時には原画までも書いていたそうです(ホント?)。ちなみに沖田艦長は父親がモデルで、戦争に行って還ってきた父親をかなり尊敬しているよう。その敗戦時の少年時代や極貧時代のデビュー時についても書かれており、超頑固者ゆえ少女漫画家時代は不遇だったとか。意外にも締め切りは守らない方で、酒に弱いそうな。
トリビアねたとしては、「銀河鉄道999」の999は1000に届かぬ未完成=青春を表すんだって。また、「銀河鉄道999」の連載は突然決まったと書いてあるけど、それが本当だったらあの第一回はすごいなぁ……。昔からわりと行き当たりばったりの人だったのかもしれない。
お次はちょっと時代的にさかのぼって、水木しげるの自伝。
水木しげる特集で取り上げてるので、そちらをどうぞ。この人は自伝や回想録がめちゃくちゃ多いです。そして、どれも面白い。
「サザエさん」で有名な長谷川町子の自伝で、NHK朝の連続テレビ小説「マー姉ちゃん」の原作でもあります。「のらくろ」の田河水泡に弟子入りする話、マー姉ちゃんこと姉・鞠子氏が社長となり姉妹社からインディーズでマンガ本を出版するエピソード、絵文字を使ったエッセイなどどれも面白いんですが、何といってもクリスチャンの母親のいい意味での強烈さが印象に残る。
ちなみにサザエさんがこれだけ有名な割に「ドラえもん」のようにグッズ展開がそれほどないのは、自費出版に近い姉妹社が版権を持ってたからなんだろうなぁ。ちょっともったいないけど、長谷川町子らしいといえば、らしい。
カップリングの「似たもの一家」はサザエさんの隣人、いささか一家が主人公のマンガ。いささか先生がヒロポンを打ってることが分かります(笑)。
お得な一冊。
この本を読んで驚くことは2つあって、まず本宮ひろ志が極端なプロダクションシステムを取っており、彼が最小限のことをすれば作品が出来上がる体制になっていること。具体的にいうと、ネーム(セリフ)以外はほとんどスタッフによるものなのらしい。
もう一つは噂に聞くジャンプ・システムの恐ろしさ。ここまで一人の作家を食いつぶす(してた)のか、というのがありありと分かる。ゲロ吐きながら「男一匹ガキ大将」のクライマックスを描いて「もうこれ以上かけない」と思ってた本宮に「頼むから続きを書いてくれ」を口説き、その内容は散々で打ち切り、とか。これじゃ作家をつぶします。かつてのハングリーな時代なら通用したかもしれないジャンプシステムはさすがに現代ではつらい気がした。
ここからは漫画家ではなく、アニメスタッフの自伝を紹介しましょう。

「山本暎一/虫プロ興亡史 安仁明太の青春」(新潮社/1989・現在絶版)
虫プロ以前の日本のアニメーションは基本的になめらかなフルアニメーションだったが、手塚はテレビで毎週アニメを放映するためにリミテッドアニメーションの技法を取る。これは紙芝居に近いもので、手塚自身も疑問を感じながら製作していたよう。
だんだんと虫プロが成功するにつれて、「会社」と「芸術」の矛盾が出てくる辺りは同じ系統の仕事をしている人間としては耳が痛いところ。
杉井キサブロー・りんたろう・富野喜幸といった虫プロ出身の有名アニメ監督たちが出てくる辺りも面白い。著者もあとがきで書いているが、虫プロに関する書物ってのがそもそも少ないので貴重な記録だと思う。
タツノコプロの重鎮・笹川ひろし氏の自伝。氏の名前は「タイムボカンシリーズ」関連書籍にてよく目にしていたものの、実際に何をやってた人なのかはあまり知らなかった。元々は漫画家で、手塚治虫の公式アシスタント第一号だったそうな。その当時、藤子不二雄などとも顔をあわせたことがあるらしい。
それにしても子供の頃、タツノコプロ作品というのはいい意味でも悪い意味でもブランドで、「ガッチャマン」「タイムボカンシリーズ」などなど大好きだった。どこかバタくさい絵は創始者である吉田竜夫(早くになくなってしまったので「重鎮」というイメージがないけど、存命だったら超大物だろう)とその弟・久里一平のクセのようで、それが年代と共に古くさくなっていったのは否めないと思う。また、ギャグ路線にしてもさすがに「タイムボカン」的な笑いはいささか時代錯誤になっていったんだとは思う。しかし、テレビアニメの一時代を築いたことには間違いなく、実際に業界にいた人が語ることってあまりないのでそれだけでも貴重。
スタッフ系の話だと、「こち亀」の秋本治が元タツノコのアニメーターだったとか、大河原邦男・天野嘉孝らの天才っぷり、富野喜幸(当時)のコンテの早さ、高田明美のおてんばぶり、押井守が入社してきた時のエピソード、今川泰宏のキャラクターなどビッグネームの面白話が満載。
その他にも、りんたろうの実弟・林政行氏(作画)、大西良昌(当時読売広告社、現ビックウエスト社長)といった名前や、最初のハクション大魔王は吉田社長自ら描いた恐い魔神だったとか、「ガッチャマン」のネーミングは読売広告社専務(当時)松山貫之氏が考えたとか、次から次へとそんな話が出てくる。ちなみに思った通り「ガッチャ」という言葉に意味はないそうだ(そこがすごいよなぁ)。この方は他にもいろんな作品のネーミングを考え出しているそうな。
こういったエピソードが読みどころではあるんだけれども、やっぱり笹川氏のキャラクターがいい。けっこうキビしい人には違いないんだろうけど、どこかひょうひょうとしていてポジティブシンキング。これってまんま「タイムボカンシリーズ」の世界観だよなぁと思った。
(2004/02/02)
手塚治虫の自叙伝。率直な感想としては、「あのビッグネームの漫画家がよくもまぁこれだけ自分のことをかけたもんだ」という驚き。正確さはともかくとして、よくいろんなことを覚えているし、時々筆がすべって感情的になってる部分も多々ある。行間から手塚治虫という人物がにおってくるようだ。
読みどころは3章の赤本ブームの頃の話と、7章の虫プロの話。手塚治虫はとにかく満足というものを知らない人で、常に他人を嫉妬し続けた。しかし、彼が天才なのはそこでペンを置かずにとにかく描きまくったことだろう。それは漫画を自由に描けなかった戦時中の体験などもあるようだけども、彼の精力は読んでいて寒気がするぐらい。
虫プロのくだりでは、おそらくそれまでのアニメーション業界から総スカンを食ったことに対する言い訳が終始書かれており、成功を喜ぶ反面、自分もディズニーの信奉者だけあって後ろめたい気持があって、彼の複雑な感情が読みとれる。
(2004/05/01)
「デビルマン」「キューティーハニー」など定期的にリバイバルブームが起こるベテランマンガ家永井豪の自伝。
僕が一番読みたかったのは、彼が石ノ森章太郎のアシスタントだった頃のエピソード。そもそもどういう経緯でアシスタントになったのかというと、原稿持ち込みではなかなかデビューできないと悟った永井自身が誰かのアシスタントにつかなくては、と思っていたところに石ノ森に出会うチャンスがあり、その実力を認められて2年間ミッチリと半ば無理矢理にアシスタントをさせられた(!)そうな。自伝につきもののトリビアとしては、この頃の先輩アシスタントに戦隊もののデザインなどで活躍する野口竜がいたとか。
最初はアシスタント先として手塚治虫の虫プロを狙っていたそうだけど、そのスタッフの疲れ具合をみてこりゃだめだ、と思ったという。
その手塚治虫と石ノ森章太郎を比較して、石ノ森が「天才的なデザインセンス」の持ち主で、手塚は「ストーリー・テリングの才能では(中略)すごかった」と書き、「要するに、2人はそれぞれ違うベクトルの天才だったのだ」と分析する。確かに石ノ森章太郎のマンガって意識して読むとすごいことをやってるし、絵も流麗なんだけど、正直言ってあんまり面白くない。ゆえにあまり今の本屋でその作品を見ることがない。ところが手塚治虫はそのマンガは現在でも多くの人に読まれている。しかし。テレビの世界では石ノ森が原作を書いた「仮面ライダー」「戦隊もの」といった作品がいまだに残っているのに対して、アトムの新作アニメはパッとしなかったりキャラクターデザイナーとしては石ノ森に軍配が上がると思う。この辺のことを永井豪は冷静に見ている。
売れっ子マンガ家になった際のエピソードは別著「デビルマンは誰なのか」で書かれているそうで、この本ではサラリと流されている。
印象的だったのは、編集長に言われたという「マンガは結果だよ」という言葉を肝に銘じている点と、マンガを描く際には読者を想定してその一日の行動をシミュレートしている、ということ。
他にもさすがに長い間現役で活躍しているマンガ家だなぁと思われる哲学も多くて、正直彼のマンガはあまり好きではないけど感心することが多かった。
(2005/2/24)




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