こころとからだ
「JUDY AND MARY/THE POWER SOURCE」


  1. BIRTHDAY SONG
  2. ラブリーベイベー
  3. そばかす
  4. KISSの温度
  5. Happy?
  6. Pinky loves him
  7. くじら12号
  8. クラシック
  9. 風に吹かれて
  10. The Great Escape
JUDY AND MARY(以下、JAM)ってバンドは個人的には思い入れがないし、好きでもない。YUKIのボーカルも全然好きじゃない。むしろ嫌いかもしれない。

そんな僕がこのバンドを聴いたきっかけは、大学生の頃に友達らと旅行に行った時、誰かが車の中で彼らのシングル「そばかす」と「クラシック」をかけてたことだ。旅行中なので何度も聴かされるはめになり正直ウンザリしてたんだけど、帰ってきてからもその曲がなんだか気になって、しばらくしてからレンタル屋でシングルCDを借りてみた。繰り返し聴いた洗脳効果で気になったのではないことは確かめられ、MDに落としてその後もよく聞いた。
今以上に邦楽に興味を失ってた時期だったと思う。

その時はそこまでだったけど、僕の双子の弟が彼らの「THE POWER SOURCE」というアルバムがすごくいい、と言ったのが気になった。彼は今は決して邦楽ファンではなくむしろジャズ好きなんだけど、やはり中学生の頃にソニーを中心としたバンドブームで音楽に興味を持った点は僕と同じで、そういう人がいいという90年代のバンド、ってのがなんかピンと来たのだ。調べてみると先の2つのシングルも収録されてる。
実際に聴いてみると、最初はロック臭を感じもしたけど確かになかなかのポップアルバムだと思った。

そのうち何度か聴いてみるうちにこれは傑作ではないか、と思うようになった。ただ、その後ベスト盤などで他の曲を聴いてみたりもしたけど、やっぱり僕はこのバンド自体が好きなんじゃなく、あくまでこのアルバムが好きらしい。

では、このアルバムにある魔法って何なんだろう?

まずは、バンド自体の成長期のピークにあっただろう、ということ。
JAMは作曲を主にリーダーの恩田快人とギターのTAKUYAが担当している。このアルバムでは3、4、9、10が恩田、それ以外がTAKUYAのペンによるもの。
しかし、この後はTAKUYAがほぼ全曲を手がけるようになるらしく、この時期バンドのイニシアティブのバランスが非常に危うい均衡を保っていたことがうかがえる。なにせこのアルバムで「そばかす」をはじめクオリティの高い楽曲を手がけたリーダーでもある恩田が、曲をあまり書か(せてもらえ)なくなるというのが解せない。
そのバランスを裏で支えたのが名プロデューサーの佐久間正英だったのだろう。彼のインタビューに興味深い証言があったので、引用しておく。

ーーJUDY AND MARYもプロデュースされたわけですが、このバンドは最初からバンド間が大変だったと。
佐久間:そうですね。言ってしまえばメンバーとして集められた人達であって、元々仲間とかではなかったし。年期入ってる2人と新人2人っていう組み合わせで始めて。
最初は年期組が勝ってて、新人組がいろいろ言われてたのが、だんだん新人組が勝ってきて、年期組がパワー・ダウンしていったんですよね。

佐久間正英インタビュー
(筆者:注)
年季(年期)組……ベースの恩田快人、ドラムの五十嵐公太
新人組……ボーカルのYUKI、ギターのTAKUYA

これは全くの想像なんだけど、この頃新人と思ってタカをくくっていたTAKUYAがどんどん実力をつけてきたことに気づいた恩田は、自分もそれに負けじと名曲を生み出したのではないか。そうやって両者のギリギリのせめぎ合いで、こういう質の高い楽曲群が生まれた気がしてならない。
そしてもっと面白いのが、ソングライティングのイニシアティブが移行してもこのバンドがすぐには解散しなかった、ってところ。恩田自身もリーダーの面子よりもバンドメンバーとしてこの先を見たい、と思ったのかもしれない。いや、僕は絶対そうだと思う。

だけど僕は、こういうソングライティング面での変化もあって、YUKIという歌い手のキャラクターがこの頃に旬だった、というのが一番明快な理由じゃないかと思う。それは若いから声が出てるとかそういうことではない(それもあるかもしれないけど)

ここでいう「キャラクター」っていうのはボーカリストの声・容姿・ファッション、メンバーのそれら、歌詞・曲・アレンジ、ジャケット、その当時の風俗などいろいろ含めた上でできあがるサムシング、だと思う。決してボーカリストだけを差すのではないし、人ですらないかもしれない。

恩田時代のJAMのキャラクターは、確かによく指摘されるように「ロリータパンク」的なものだったのだと思う。自らにトゲをつけてでも「少女」という聖域を守り続ける、という意思。恩田が提示したそのキャラクターは魅力的ではあった。
だけどTAKUYAはそのキャラクターに、成長した身体を与えようとしたのだ。

身体、ってことに関して簡単な例をあげると、アメリカの子供は2頭身のキャラクターが好きじゃない。好きじゃない、というよりそういうキャラクターに感情移入しない。それはどういうことかというと、自分の体を2頭身だと思えない、ということだ。でも日本の子供は自らの身体を2頭身と捉えることができるので、受け入れることができる。
これは自分の体の受けとめ方がどれだけ精神にも影響を及ぼすか、ということのいい例だと思う。

TAKUYAの提示した身体により、バンドのキャラクターは大きく変化する。ちょうど第二次性徴期を迎えるように。そして、それに抵抗しながらも止めることのできない変化にもがく。それがバンドにそれまでにない輝きを放たせることになったのだと思う。

よく比較されるであろうレベッカが、いろんな意味で「大人になりたい」ともがく少女=NOKKOを象徴とするバンドだったとすると、JAMは大人にならざるを得ない自らの身体に抵抗し「少女を捨てたくない」と叫ぶ、やはり少女=YUKIを象徴とするバンドだったんじゃないかと思う。そういう意味では僕はレベッカとは大きく違うと思う。

だけど、成長はいつか止まる。その過渡期が一番光るのは当然で、その時期を過ぎるとその光が失われてしまうのもまた宿命なのだ。
もちろんそれ以後もまた違う輝きを放つこともあるにはあるけど、JAMの場合活動休止期間をおいてもやはりその新たな輝きを見つけることはできなかったんだと思う。あまりにもピーク時の輝きが鮮やかすぎた。

やや抽象的すぎたのでちょっと具体的な話もしておくと、YUKIのボーカルにはロリータっぽい声と、すごく芯のある、いわばドスのきいたような声が同居している点は見逃せない。この2つの魅力をどう使うか、という点でも2人の作家は違うアプローチをしていると思う。

そういうバンドというキャラクターが成長する一番「おいしい」時期に、2人の才能のある作家陣を中心とした結束=バンドを保てたこと、それをサウンドとしてまとめる名プロデューサーに巡り会えたことが、このアルバムに魔法をかける結果になったんじゃないか、と思うのだ。

(2004/02/16)