頭でっかちの中身
「ピチカート・ファイヴ/月面軟着陸」

  1. パーティー・ジョーク
  2. 新ベリッシマ
  3. 誘惑について
  4. 衛星中継
  5. 皆笑った
  6. 指きり
  7. ちょっと出ようよ
  8. ちょっと出ようよ
  9. セックス・マシーン
  10. リップ・サーヴィス
  11. ボーイ・ミーツ・ガール
  12. 眠そうな二人
  1. 衛星中継
  2. 惑星
  3. ワールド・スタンダード
  4. トップ40
  5. インターミッション
  6. 水泳 - ブーガルー・イン・アクション
  7. アロハ・オエ・ブルース
  8. これは恋ではない
  9. 夜をぶっとばせ
  10. 女王陛下よ永遠なれ
  11. カップルズ
 

あれは確か音楽雑誌「What's In?」だったと思うんだけど、ソニーマガジンズ発行だから当然SONY所属のアーティストはマイナーであっても紹介する傾向があり、僕が高校生だった当時(1990年)はEPIC SONY所属だったピチカート・ファイヴも1ページを使って紹介されていた。それがこの「月面軟着陸」だった。この頃は小西康陽、高浪慶(敬)太郎、田島貴男の3人編成だった。

それ以前にもピチカート・ファイヴの名前は雑誌などで見ていたものの、たとえばシネマとかピカソとかああいうシティポップス系で名前から5人組のグループだと勝手に思い込んでいた。
ところがその雑誌の写真では、3人がアルバムのライナーでも見られるようにロシア人のような帽子をかぶり、ぞろっとしたコートを着て、なぜだか分からないけどビジュアル的にとてもインパクトがあった。

そしてそのインタビューで小西康陽が、確か「ゲバゲバ90分なんかの放送作家になりたかった」「このアルバムはテレビのバラエティショーのような構成にしたかった」なんてことを話していたと思う。残念ながらスクラップしてないので詳細は不明だったけど、今でも覚えてるぐらい、僕にとってショックな発言だった。そういうふうに音楽をとらえてもいいんだ、と。

ただ、残念ながら自分が利用するレンタル屋にはおいてなかったため、実際にこのアルバムを耳にするのはもう少し後になる。そう、当時はCD、とくに3000円もする邦楽の新譜を買うことは僕にとってはとても贅沢なことだったのだ。
それでもカセットテープに落として何度も聴いた。のちのピチカート・ファイヴを知ってから聴くと、やや稚拙な部分が気になるけれども、サバービアな元ネタ、DJ的編集感覚、雑食的ポップミュージック総括感などなど1990年にしてこの内容という先進性にはやはり驚く。
このアルバムは同時代のフリッパーズ・ギターやオリジナル・ラブと比して聴かれるよりも、テイ・トウワやFANTASTIC PLASTIC MACHINEのアルバムと一緒に聴いた方が聞こえてくるものが多いと思う。だってラウンジっぽいオープニング、ナレーションの多用なんてテイ・トウワもFANTASTIC PLASTIC MACHINEも砂原良徳もみんなやっているじゃない。

でも今このアルバムを何のコメントもなしに人にお薦めするのはちょっとためらわれる。音楽的実力がともなってないというのもあって、分かる人には分かる、というやや人を選ぶ内容になっている印象がある。
端的にいうと「頭でっかち」なのだ。やりたいアイディアは分かるけど、それを表現する力がついていかないもどかしさ。そもそもこのアルバムはメインボーカルという概念がないアルバムで、1曲ごとにゲストも含めた様々なボーカリストが入れ替わり立ち替わりマイクの前に立っている。僕はそういうアルバムはむしろ好きなんだけど、ふつうはちょっと聞きにくいんじゃないだろうか。なにせボーカリストはバンドの顔だけでなく、それも含めた身体なのだから。

小西康陽はピチカート・ファイヴをリードしていくうちに、初代ボーカリスト佐々木麻美子では表現力が足りないことに気づき、田島貴男をレンタルボーカリストとして迎える。しかし、田島貴男は自らの作家性が高い人でもあった。先の雑誌インタビューだったかで、小西氏が銅鑼の音を入れようとしたら田島氏がとても抵抗したというような話があってそのような録音芸術的センスは彼の中にはなかったことが分かる。そして自分のバンド、オリジナル・ラブを本格始動するのもあって脱退する。
「頭でっかち」がせっかく身体を見つけたというのに、その身体は自らの脊髄で動こうとしてしまったわけだ。

ここでようやく、このアルバムでゲストボーカルとして参加していた野宮真貴が本格加入する。彼女は佐々木麻美子のキュートさ、田島貴男のようなしなやかな肉体(発声、という点で)、ビジュアルに対する意識、そして何といっても「頭でっかち」のアイディアを何でも受け入れられる「器」的な資質が高かった。

マニアックなミュージシャンやそういう音楽を好む人というのは、ボーカルの力不足にあえて目をつぶって、いや耳を傾けないでその魅力を語ろうとするけど、でもやっぱりボーカルがマズいバンドはいただけないと思う。僕が好きなジャパニーズ・シティ・ポップスなんかでも杉山清貴はちょっとね、というくせに他の全然歌えてないシンガーソングライターは高く評価する評論家がいたりして偏ってるなぁと思うことが多い。

野宮真貴はそのビジュアルの高すぎるインパクトから「オシャレな人」とやや揶揄されて語られることが多いし、実際ソロアルバムなんかは自らの作家性が希薄なせいで面白いものにはなってないと思うけど、でもボーカリストとしてもっと評価すべき人だと思う。
なにせ、この「月面軟着陸」で展開された雑多なアイディアを、彼女はその後10年以上に渡って1人で堂々と表現しきったのだから!つまり、もう彼女を通して表現したいことはない、と小西康陽をギブアップさせたのだから!

野宮真貴が加入して初めてピチカート・ファイヴは自分にふさわしい身体を手に入れた。小西康陽がその時に得たであろう「万能感」を想像すると恐ろしくなる。
まだ「身体不在」だった、絵的にいうと脳みそが見えているハカイダーのようなこのアルバムを聴くと、小西康陽という人の頭の中をダイレクトにのぞいているような感覚がして、とてもクラクラするのである。
そして小西康陽の焦燥感から来ていると思う過剰さに、とても親近感がわくのだった。

(2005/6/5)